2008年09月01日

救われたシュピルマンと救われなかったホーゼンフェルト【戦場のピアニスト】



 借りてきて観ると、この話がノンフィクションなのかフィクションなのかがわからないのが困る。公開時に観れば「実話」ベースであることは誰でも知っているに違いないが、何年もたって全く白紙で観てしまうと、全くのフィクションのように感じてしまう。最後に主人公シュピルマンと彼を助けたドイツ人将校の消息を知らされても、実話であったことになかなか得心がいかない。

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 この映画は、スピルバーグの『シンドラーのリスト』姉妹編とも言える内容だろうか。『シンドラーのリスト』は同じポーランドでも古都クラクフ(かつてのポーランド王国の首都)のユダヤ人ゲットーの物語。『戦場のピアニスト』は、ワルシャワで終戦時にたった二十人しか生き残らなかったユダヤ人の物語である。

 監督のロマン・ポランスキーは、少年時代にクラクフのゲットーにいて、そこから逃走、終戦時にはワルシャワあたりにいたらしい。ポランスキーは幼少より逃げ回る運命だったようだ。スピルバーグは『シンドラーのリスト』の監督をポランスキーに依頼したという。商業センスに優れたスピルバーグらしい。ポランスキーが監督になれば、話題性という意味ではこれに勝る宣伝効果はないからだ。

 ナチスドイツは第二次世界大戦でユダヤ人を迫害し財産を没収し、ホロコーストした。ユダヤ人の悲劇を取り上げる映画や小説は多い。無慈悲に理不尽に運命が暗転し圧殺されていく様子には誰もが憤りを感じるだろう。しかし、規模は違えどもそういうことは過去の歴史において何度も繰り返されている。ヨーロッパではユダヤ人に対する迫害は珍しくはない。ユダヤ人がいない地域では、魔女狩りのように社会的弱者が迫害されてきた。

 社会的弱者が迫害されてきたいのは日本でも同じ。今の日本のような「平等」な社会のほうが珍しい時代なのではないか。

 シュピルマンを助けたドイツ人陸軍将校の名は、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉。ホーゼンフェルトはシュピルマンだけでなく、多くのポーランド人も救ったという。ホーゼンフェルトがワルシャワの廃墟にいたのは、偶然ではなかった。隠れているポーランド人を探して支援するためだったと考えると、あの場所にいた理由もわかる。シュピルマンを救った理由は、必ずしも優れたピアニストだったからではない。もっともシュピルマンがホーゼンフェルトと出会えたのは、彼が優れたピアニストだったからである。

 戦後、シュピルマンやホーゼンフェルトによって救われた人々によって、ホーゼンフェルトの釈放が嘆願された。ホーゼンフェルトを拘束したソ連はそれを黙殺して、過度の拷問を行い、二十五年の強制労働を課したという。ナチス諜報部のスパイと疑われ戦犯となったホーゼンフェルトは、スターリンによって殺された一人なのであった。ホーゼンフェルトは強制収容所で一九五二年に死去、享年は五十七才。



posted by jin-k at 00:27 | Comment(1) | 第二次大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉の襟章を見ると親衛隊ではなく国防軍の将校でした。やはり、ナチではない人は、ユダヤへの憎悪などなかったのではないかと思います。常にシュピルマンに対しSieと言う敬称で話しかけていたし、音楽に対する知識もありそうでしたね。
終戦時にもしソビエト軍ではなく、西側の軍に逮捕されていたなら、こんな悲しい最後にはならなかったと思えば、残念でなりません。
Posted by スパルタ at 2012年09月12日 14:54
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