2011年02月05日

【センチュリオン】失われたヒスパーナ第九軍団の悲劇



 ニール・マーシャルが古代ローマ時代のイギリスを舞台に描いた作品が『センチュリオン』である。西暦一一七年にイングランドとスコットランド境界あたりでピクト人が蜂起し、そこに駐屯していたローマ軍団が壊滅した。壊滅したローマ軍団が第九軍団ヒスパーナであり、ハドリアヌスの壁が築かれる原因になったといわれている。

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2009年06月26日

【ROME[ローマ]】アントニウスとオクタヴィアは何回目の結婚か[7]



 紀元前40年に、第二次三頭政治をより強固なものにするために、アントニウスオクタビアヌスの姉、オクタヴィアが結婚する。ドラマの中では怜悧なオクタビアヌスが仕組んだ政略結婚として描かれているが、実際には、前年にアントニウスの妻、フルヴィアが自害し、オクタヴィアの夫のガイウス・クラウディウス・マルケッルスも紀元前40年に死んだので、縁組みになったのである。それ以前に、フルヴィアの娘、クローディアとオクタビアヌスが結婚しているので、アントニウスとオクタビアヌスの関係はアピールされていた。

 オクタヴィアの前夫は、ドラマでは若く描かれている(ドラマではクロディウスとなっている)が、実際には十一歳の年の差があった。マルケッルスはポイペイウス派だったが、アティアに殺されたりすることはなく、ファルサルスの戦いの後、カエサルに恭順したという。

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2009年05月25日

【ROME[ローマ]】ファルサルスでポンペイウスはなぜ負けたのか[6]



 イイリアカエサルアントニウスが合流したときは、カエサルは追い込まれていた。兵数で劣るカエサルは、ドラキュウムに籠もるポンペイウスの軍団を柵で囲うが、囲いが十全でなかった南側を攻撃されてしまう。カエサル子飼いの精鋭第九軍団がポンペイウス側の攻撃に耐えかねて壊走、約二千名の死者を出してしまうのである。

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2009年05月17日

【ROME[ローマ]】一万セルティルティウスはどのくらいの価値?[5]



 ルキウス・ヴォレヌスはルビコンを渡った後ローマに入り、第十三軍団を退役してしまう。カエサルは軍団兵の去就を自由意思に任せたので、彼が自主退役したとしても、間違っているわけではない。カエサルの片腕であったラビエヌスですら、カエサルの元を離れた。たとえ首席百人隊長であっても退役できた可能性はある。

 第四話でヴォレヌスが自宅に戻って商売を始めようとしたとき、アントニウスに呼び出される。アントニウスはヴォレヌスにいままで以上の条件で軍団に戻るように話しかける。アントニウスは軍団に戻る際に

一万セルティルティウス

をオファーする。再雇用の支度金という意味だろう。後になって八方ふさがりのヴォレヌスは、アントニウスのもとに出向き、同じ条件での再雇用を求めるが、そのときは九千セルティルティウスに値切られる。しかしアントニウスは体面を保つために値切っただけであって、ヴォレヌスにはそれだけの価値があるということだろう。

 それでは、「一万セルティルティウス」は現在の価値でいうと、いくらくらいなのだろうか。

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2009年04月13日

【ROME[ローマ]】元老院と対立したカエサル[4]



ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上)新潮文庫 (文庫) カエサルルビコン川を越えたのは、元老院という寡頭政を認めなかったためだと言われている。カエサルがルビコンを越えたことがローマ内乱の原因として象徴的にいわれるが、カエサルにとっては、元老院との対決は避けられなかったものだろう。

 元老院体制の維持を目指したルキウス・コルネリウス・スッラも、国法に違反してプリンディシに躊躇なく軍団を上陸させている。スッラにしても、イタリア国内に軍団を踏み入れるのは国法違反であっても、実際には勝てば官軍であった。

 塩野七生の『ローマ人の物語 勝者の混迷』を読んでいると、実は元老院という機関が必ずしも優れていたわけではないことがよくわかる。帝政よりも寡頭政の共和政の方が優れているように言われるが、実は必ずしも寡頭政が優れているわけではないのだ。

 一つには、もともと元老院は王政時代の諮問機関であって、諮問に対して意見を述べることはあっても、その意見には法的効力はなかったということがある。王政がなくなって、なし崩しに元老院が国政の決定機関になったが、厳密には元老院の決定には法的根拠がなかった。

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2009年04月07日

【ROME[ローマ]】一タレントは約一万五千デナリウス[3]



ROME[ローマ]コレクターズBOX 第二話でカエサル銀鷲旗が盗まれて、それを探しに行くとき、カエサルがアントニウスに与えた資金が

二分の一タレント

であった。タレントは金の単位である。アントニウスがカエサルから受け取った資金の半分である四分の一タレントをヴォレヌスに金貨で渡すことから、けっこうな金額であることが想像される。しかし、それでは現代の金額に直すといくらくらいなのだろうか。

 タレントという金の単位は、もともとは貨幣ではなく金の重量を指した。時代によって重さは変わるが、古代ではよく使われる単位である。およそ26キログラムだとか50キログラムなど諸説ある。

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2009年03月02日

【ROME[ローマ]】カエサルとアントニウスは親戚だった?[2]



 カエサル麾下の軍団長は何人もいるが、名前が大きく残ったのは、マルクス・アントニウスだった。軍事的な才能があったのは、アントニウスではなくティトゥス・ラビエヌスだといわれている。またアントニウスより、パルティアで敗死したクラッススの長男プブリウス・リキニウス・クラッススや、カエサル暗殺に加担したデキムス・ユニウス・ブルータスの方が優れていたらしい。

 ラビエヌスはポンペイウス側に寝返りムンダで戦死、クラッススは父親とパルティアで敗死した。ブルータスは従兄弟のマルクス・ブルータスに同調してカエサルを刺したので、第二の相続人に指名されながらも、カエサルの跡継ぎになることはできなかった。

 アントニウスがオクタビアヌスとカエサルの後釜を争うようになるのは、カエサルが暗殺されたときに執政官だったからだろう。カエサルの姪のアティアとできていたわけではない。

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2009年01月22日

【ROME[ローマ]】首席百人隊長はノンキャリアのトップ兵士[1]



 ローマ軍団は六千人からなる。軍団の基本は百人隊(ケントゥリア)だ。六つの百人隊で一つの大隊となり、十の大隊が集まって軍団となる。百人隊長(ケントゥリオン)は百人隊を統率するリーダーである。もっとも実質的には、八十人程度だったらしい。

 軍団のトップは軍団長になる。その下に大隊長がいる。『ローマ人の物語』では大隊長は、六百人を率いる大隊のリーダーとなっていて、元老院議員や騎士階級のものが立候補し当選して大隊長の資格を持っているものが任命されるという。

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